Glenscape

勇気出してステップ!

はじめに

概要

Twitter300字ss』で毎月ひとつ出されるお題に沿って更新される、気まぐれストーリーの掌編連作集。

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主要人物紹介

かしわ みやこ
高校一年生。引っ込み思案で人見知りの文芸部員。
まい
京のクラスメイト。
ひいらぎ さと
文芸部長の三年生。

本編

渡すだけ

「あ、辞書忘れた」
みやこにしては珍しいね」
「昨日予習してそのままかも。すぐ二組で借りてくる」
 もう五分前。急がなきゃ。
「柏、待った! 純にこれ渡しといてくれよ」
 不意に差し出された、傷も汚れもない綺麗なノート。そこに、綺麗なとめはねと整ったバランスで格好いい筆致の『榊 純』という文字を見て、思わず手に取ってしまう。
二組あっち四限目これから、数学なんだよ。頼んだ!」
「ちょっと、お礼兼ねて自分で行ったら? ね、京」
「い、いいよ。ついでだもん」
 私の返事に、舞は驚いた顔をする。それは、これがついでどころか重大事件だって彼女は分かっているからだ。
 そして私も……もう後悔してる。榊君と話すなんて、心の準備だけで五分じゃ足りないよ!

長い五分の行方

 手に持ったノートを見つめたまま、私は二組の教室の戸が開けられない。森君から預かった、榊君のノートを彼に渡さなきゃいけないのに。あくまで私が咲から英和辞書を借りるついでに、だけど。
 ついでに、なんて言い聞かせてはみるものの、榊君の前に立って、榊君に話しかけて、榊君の声を間近で聞かなきゃいけない。それをする勇気が、臆病な私には全然湧いてきてくれなかった。
 それでも、次の授業はもうすぐだ。私は意を決して、教室の中に飛び込んだ。
 事情を聞いて、辞書を探す咲。その間きょろきょろ見回す私に、顔を上げた咲は驚きの言葉を発した。
「はい、京……榊君なら風邪でお休みだよ」
 そんな……でも、ほっとするような、悔しいような。

雲の上、彼女の隣

 あたしの友達、みやこは大変な引っ込み思案で、臆病だ。今日のように、片思いの相手とこれから話すというだけで(まだ目の前にいなくても)固まってしまうくらい。
 そういえば京が「雲の上の人」と呼ぶ憧れの部長とも、いまだに会話ができないのだという。
 それに、この間職員室の前でも深呼吸をしていたな。
 彼女には、会話のままならない相手が多すぎる。

「その点、京が気安く話せるあたしってよっぽど小者なのかね」
 それはただの軽口で、別にひねくれていたつもりはなかったのだ。そんな気まぐれなのに、彼女の本音を引き出してくれて、本当に良かった。
「違うよ。舞は私の友達……親友だから! 舞とは、すぐそばでもちゃんと話せるようでいたいの!」

追いかける先、彼女の隣

みやこ、ちょっと味見お願い!」
「あ、例のプレゼント?」
「の、試作品」
 手先の器用なまいが作る、均整な粒形のチョコレート。それは口の中でパリッと響いて、中から溢れてきたのは―。
「からいっ!」
「えへへ、ごめんね。ブランデー入りなの」
 謝りながら、すかさずお水を差し出す舞。
「彼、この銘柄が好きだっていうから」
 このプレゼントの相手は、じきに誕生日を迎える舞の彼氏さんだ。舞とアルバイトが同じ彼は十歳年上。職人を目指して修業中なのだそうだ。舞は、そんな彼を支えたいのだという。
 私のことも助けてくれる舞は、私と同い年だけど、なんだか私より先に大人になろうとしているみたい。
 彼女のそばにいたら、私もついていけるかな。

恋を綴った贈り物

みやこは告白、しないの?」
 喫茶店で注文を終えた直後のまいの不意な発言は、私をとても動揺させた。
 だけど唐突というわけじゃない。商店街にある、きれいな飾り付けのクリスマスツリーや、プレゼント商戦に熱を上げるショーウィンドウ。先日の舞が彼氏さんへ贈った誕生日プレゼントは大変喜ばれた、という会話。それらが頭の中で結び付いたのだろう。
「しない……かな。絶対うまく話せないもの」
「じゃあ手紙は? 口は苦手でも、言葉選びは得意でしょ。京ならうまくできるよ。恋を綴った贈り物」
「……舞って結構ロマンチストなのね」
 指摘されて赤らむ舞。そこへ飲み物が運ばれてきて、二人ともすぐに手を伸ばした。
 私もこの話から早く逃げ出したい。

新しい気持ち

 私、かしわみやこがまだ自分の進路を決めかねていた中三の夏。たまたま読んでいたアンソロジーに、とても印象的な一作があった。丁寧な描写や言葉選びに強く惹かれた。凛とした、という言葉はこういう雰囲気を指すのかな、と思った。
 その作品を続けて二回読んだあとで、はっと気付いた。
 これは県内高校の文芸部誌。そして、この作者はまだ高校一年生だ。
 慌てて奥付を見る。刊行は去年の十月。この人は今年二年生で、来年もこの学校にいるはずだ。
 急いで通学鞄から進学資料を引っ張り出す。そこは共学の普通科高校で、家から少し遠い。そして、偏差値がちょっぴり高い。でも―。
 私は迷わずに両親のいるリビングに向かった。
「私、志望校決めた!」

京の窮地と柊部長の助け舟

 文芸部誌の編集会議。去年私がこの部を知るきっかけになった本に携われることに、私はやや興奮している。
 けれどそれ以上に私を緊張させたのは、慣れない部員ばかりで人口密度の高い部室にて繰り広げられる、普段の低い出席率からは想像できない活発な議論だった。
 引っ込み思案で人見知り。この性格がこの場をこんなに苦手にさせるなんて。縮み上がっている私に、柊部長が水を向けた。
みやこさん、あなたの意見は?」
「私は……、去年使っていた遊び紙が可愛くていいと思います」
 ―まさか、この前例への支持が更なる火種になるなんて。すっかりくじけてしまう寸前、柊部長の頼もしい声がした。
『神は細部に宿る』と言うわ。私は京さんに賛成よ」

柊部長に憧れる理由

 本文に関係のない遊び紙にこだわりを示す私の意見に対する文芸部員の評価は様々あって、数で言えば劣勢だった。そんな中、私に代わって部長が話し始める。
「遊び紙に気を使うことに短所がある? それで読者が離れる?」
 問いかけて、順繰りに視線を移す部長。その厳かな言動に気圧されて、場にいる皆が部長を見つめ、次の言葉を静かに待つ。
「それはよく検討する必要があるわ。でもその結果、作品がより読み易くなるのなら、私もそういう最善の手を尽くして読者に良質な時間を提供したいと思う」
 ―これなんだ! 読者のために細部まで手を抜かない一途な姿勢。これが、柊部長の作品にある凛とした雰囲気の源流なんだ。私の憧れの正体だったんだ。

未来の自分との約束

 モールの広場で笹飾りを前に、私の隣で舞が尋ねる。
「京は今まで、どんなこと書いてた?」
「あんまり覚えてないよ。お母さんには『あなたはずっと花屋になりたがってたね』って笑われたけど」
 思い出して、私も小さく笑う。
「でも、去年は『創作活動を続けていけますように』だったかな。進路や受験を意識し始めた時期だったし」
「それは、願い事っていうより約束だね。未来の自分との」
 そうかもしれない。そして約束は果たすためにするものだ。その後あの文芸部に憧れ受験、合格を果たした中三の私かのじょのおかげで、今の私がある。
「だったら、次の願い事やくそく―」
「榊君と仲良くなれますように」
「わぁー! 今いいとこだったのに、水を差さないで!」

柊部長の鞄の中身

 かちかちとマウスの鳴らす音。さらさらと鉛筆の擦れる音。二つが揃って止んだとき、部長が立ち上がった。
「終わりにしよう」
 今日の文芸部に最後まで残っていたのは二人だけだった。私も「はい」と続けて片付けを始める。
 ひいらぎさと部長はかっこいい人だ。凛として理知的で、大人びた雰囲気。そんな人だから、机から落としてしまった鞄の中身はとても意外で、印象的だった。
 がしゃっと音を立てて散らばったのは、キャラメル、マシュマロ、チョコレート―。何種類もの甘いお菓子を、顔を赤らめて慌てた手付きで拾い集める柊部長。
「甘いの、お好きだったんですね」
 思わず問いかけた言葉に「そうよ」と小さく返す部長を、なんだか可愛く思ってしまった。

灯火親しむべき候

 月に一度のお買い物の日。それまで何度も本屋に通って、厳選した一冊を購入する。際限なく買い過ぎてしまわないよう、そういうルールにしてある。
 買った本は袋から出して、ベッドに近い机の隅に置いておく。しばらくは手を付けないで、何かをしながら眺めるだけ。そして、夕食も宿題もお風呂も全部済ませた後で、ベッドの中から手を伸ばす。明かりは白熱球の読書灯。オレンジ色の淡い光が、視界を手元の本だけに集中させてくれる。
 いよいよ指先が表紙をめくる、この一瞬が、とても好き。

「本一冊に大げさだねぇ。まるで儀式みたい」
 私の話を、まいはそう評した。
「でも、何でも大げさな方が一層楽しめるのかな。自分は自分の盛り上げ役なんだね」

読書家への誤解

 私が軟膏を使う仕草を見て、まいは指差しながら笑う。
みやこったら塗り薬を薬指で塗るんだ。マジメー」
「ちょっと、動かないでよ」
 舞の手を捕まえて、切り傷に薬を塗り込む。そうする私の指が薬指であることを改めて意識してみるけれど、やっぱり私はこれに疑問なんてない『薬を水に溶いたり塗ったりするのに使われたから』という説を抜きに考えても。
「人差し指や中指の方が自由に動かせるでしょうに。物知りも過ぎると、情報に変に縛られて生きづらくなるんだね」
「何それ、私が読書家だって話? でも『薬指という名前の由来』なんて、テーマにもエピソードにも書かれた本なんか読んだことないよ」
「それもそっか。確かにそんなの想像つかないね」

舞の初挑戦

「泣ける本を貸してって……、何でそんなに言いにくそうなの?」
「それはさ、あたしも文字の長い本を読んでみようかなって思って、最初だから話は読み応えのある方が最後まで行けそうだし、それって泣くほど心動かされるものなら間違いないかなって……」
「そういう選び方もあるのかな」
「その前に、今まで漫画しか読まなかった人間が突然小説を、ってのが恥ずかしいじゃん」
 そう言われても、どうして読書が恥ずかしい行為なのか私には分からない「泣ける本を」って言ったことの方ならまだしも。
 それに、ごまかすように笑うまいを見ていると、この明るく笑うしっかり者の舞が読書している姿より、その頬を伝う涙の方が想像できないなって思った。

吊り橋の向こうの人影

みやこって音楽聴かないよね」
「うん、全然。まいはどんなの聴くの?」
「あたしは『archeアルケー! 声も姿も格好良いの!」
 よくぞ聞いてくれたとばかりの返事には苦笑しつつ、見せられたケータイを覗き込む。
「お、アルケーじゃん」
 急に耳元で声がして、びっくりした。
「森君、知ってるの? インディーズだよ?」
「前にライブでこっち来てさ。それ見て以来ずっと聴いてる」
 意外な共通点で盛り上がっていく二人。一方、私は苦手な「不意の人の気配」にまだどきどきしている。
「でも純に教えたら、あいつ俺よりハマってさ。カップリング曲の英語詞も全部歌えんだよ」
 どきどき……え、榊君? 
「へぇ、意外……京、どした?」
「CD、私にも貸してほしいな」

水清ければ

 柊部長がどんな人かとまいに尋ねられた。
 部長は裏表ない正しさで、誰にでも真っ直ぐだ。その態度が優等生ぶっていると、陰で反感を買っているらしい。一方私は、そんな部長の書く清廉で凛とした物語に憧れてここに入学した。噂と私と、両方知っている舞は柊さとという人物を計り兼ねているようだ。そして、敵の多い三年生を慕う一年生という私の立場を案じてくれてもいるみたい。
「水清ければ、ってやつかもね」
 舞のつぶやきに、私も語を継ぐ。
「そう、綺麗な月が宿ってるんだよ」
「ん?」
「えっ?」
『水清ければうお棲まず』じゃないの」
「それも分かるけど、私は『水清ければ月宿る』って言いたい」
「そのことわざは知らなかった……、みやこ、心酔してるね」

あなたらしさの一側面

「私、アルバイトするのに向いてないのかなって……」
 鞄から情報誌をひいらぎ部長に渡して、部活中のため息の理由を告白した。
 部長は黙ってページを繰り終えて一言、
「考え過ぎ」
 私を真っ直ぐ見つめて、断言した。
「ここに載ってるのは飲食店、コンビニと接客ばかり。だから自信ないんでしょう」
 いともたやすく言い当てられてしまい、素直に頷く。
「確かにみやこさんの性格では難しいかもしれない。でも、目の前のものの合う合わないだけで、全部知ったつもりになって落ち込んじゃだめ」
 そして、私の手がそっと握られる。
「あなたらしさの一側面が明るみに出ただけ、そう考えてはどうかな」
 部長……私、この事で泣くつもりなかったんですけど、あのっ……。

名前で呼んでもらえたら

 部室を施錠するひいらぎ部長を待って、廊下を歩き出す。
「あの、みやこさん」
「はいっ」
 立ち止まって振り返る。たった数歩の距離が、そのときはやけに遠く感じた。
「部長?」
 普段は真っ直ぐな視線が、今は珍しく泳いでいる。
「その……私のことを律儀に部長と呼ぶのは、京さんだけなの。それって距離を感じるし……。私があなたをそう呼ぶみたいに、京さんにも名前で呼んでもらえたらなって……」
 最後に、目が合ってしまった。
「じゃあ、さと……先輩?」
「……うん。よろしく、京さん」

 先輩と別れてから、私はそのやり取りをずっと反芻している。それ以前の落ち込みなんて忘れて、私の顔は一人でにやけっぱなし。どうか家に着くまで誰にも会いませんように。

京の旅行記

 私の部屋の本棚にはカーテンが付いている。最初は白の無地だった。今は、西洋風のお城の門が描かれている。付け替えたんじゃなくて、小学生だった私が描き込んだのだ。十二色のマジックで、お気に入りの本の扉絵をお手本に。大胆なことをしたなって、今となっては信じがたい行動だ。
 でも、モチーフのことは今もよく理解できる。これは街からお城に入る門じゃない。閉ざされた空間から外へ出るための門。あの児童書の物語で、本の世界を旅するお姫様が通るもの。私がこの部屋にいながらにして、知らない世界を旅するときに開くもの。
 本の冊数に比例して本棚に少しずつ増えていくノートは、だから見かけは読書感想文でも、その実私の旅行記なのだ。

高難易度の提案

みやこ、今度 archeアルケー 来るって!」
 朝の教室で、まいが興奮気味に話しかけてきた。
「駅前の花火の日、特設ステージのライブに出るって。一緒に行くよね?」
「でも、私ライブって行ったことないし、雰囲気とか、ついていけるかな」
「何を難しいこと言ってるの。音楽聴きに行くだけでしょ」
 それでも不安の残る私に、舞が囁く。
「榊君に近付くチャンスだよ。彼もファンだから、きっと来ると思う」
 それを聞いて思わず緊張が走る。そんな私を見て、舞がにやりと笑った。まさか、この反応を期待されていたのかな。
「ついでに花火も一緒に観たらいいよ。何なら浴衣も披露しちゃうとかさ!」
「駄目だめ、ライブと花火の浴衣デートなんて難易度高すぎるよ!」

世話焼き舞の夢診断

 ねぇ、待って。みやこが今来るから! 
 声を張って呼び掛けるけれど、その後ろ姿は角を曲がって消えてしまう。そもそも彼はあたしと面識がないから、自分のことだって気付かないんだ。
まい、何慌ててるの?』
 来た! 榊君この先だから早く追いかけて! 
『大丈夫だよ。二組は四限目数学だから、待ってたら渡せるよ』
 だめ、今日は風邪で休みなの。今話さないと。大事なチャンスだから! 
『でも私、まだCD聴けてなくて』
 いいから行って、お願い! 

「舞、朝から考え事?」
「違うの。ちょっと今朝見た夢のこと考えてただけ」
「へえ、楽しかった?」
「うーん、あれは……」
 何気なく京を見たら目が合った。首をかしげる京にあたしもならう。
「何だったんだろうね」

部誌の一文

 今日も部室は私とさと先輩の二人きり。来月の文化祭に合わせて発行される文芸部誌の編集作業が続いている。
「あの、この部誌の名前、どんな由来なんですか『まど』って、窓ですよね」
 夕映えの窓辺を指差して尋ねると「それはね」と智先輩は戸棚に向かう。そして、部誌の第一号を取り出して色あせたページを見せてくれた。

入って来なくたっていい。覗けば中は見える。文学を、私たちを、ちらりと知ってもらえればそれでいい。だから扉じゃなくていい。この本が窓のような存在になればと願う。
「素敵な文章です。でも、どうして初号にしか載ってないんでしょうか」
「翌年には恥ずかしくなったそうだよ、それを書いた三十年前の創部メンバーは」

ゼロゼロ舞からヒミツのメッセージ

 三限目が始まる直前、教室に戻ってきたまいはなんだか難しい顔をしていた。私に気付いて、舞は耳打ちの仕草をする。
「あのね……、今日の数学、小テストが出ると思う」
 唐突な話題に、私は首をかしげて続きを促す。
「時々出る抜き打ちのやつ。今の三角関数に入ってから出てないよね」
 その時チャイムが鳴って、先生も入ってきた。会話を打ち切って前を向く舞の含み笑いが意味ありげに見えて、その横顔を見ながら私は言葉の裏を想像する。
 彼女はさっき職員室に行ったはず。そこで何かを知ったのかも。でもそれだけじゃない。このにやけた表情は何か違うことを言いたげだ。三角関数……。
 もしかして舞が言いたいのは……『四限に余弦のテストと予言

柏京の鞄の中身

 柊部長の鞄の中身を知ってしまって以来、私はお菓子ひみつを分けてもらうようになった。その度に顔を赤らめ慌てたあの様子を思い出し、これは口止めだろうかと考える。
 だけど、そういう秘密は私の鞄にもある。文化祭に向けた部誌制作が始まってから、お守りのように持ち歩いている物。
 ―今日こそ話してみようかな。
 私の声に顔を上げた部長は目を丸くする。
 取り出して見せたこの二年前の部誌にも、柊部長の作品が載っている。そして―。
「実は私、これを読んで柊さとという人に憧れて、ここに入学したんです」
「そう……、ありがとう」
 口ではさらりと返すくせに、はにかむ顔は赤い。でも今回は人の事を言えないなと、自分の頬に手を当てながら思った。

柊部長に憧れる理由(2)

 今日も放課後になるとすぐ部室に向かい、部誌の原稿に取り掛かる。
 私が書き進めているのは、おてんばなお姫様がお城をこっそり抜け出すお話。恥ずかしくてまいにさえ話せていない粗筋は、課題に沿ってなるだけベタに作っている。
 ―ひねらず真っ直ぐ、とにかく書き切ること。
 そんな標語ができたのも、本好きな文芸部員と言えどみな創作には不慣れだからだ。まず一作完成させる―それがなければ部誌制作も批評会も始まらないのに、その「まず」からして難しいのだと。
 だからこそ、と私はさと先輩の横顔を盗み見ながら思う。
 智先輩が二年前に著した物語は凛として理知的で「まず」の向こう側にもうあった。だから私の目に格好良く映ったのだろう。

京の執筆スタイル

 いつもより遅れて入った部室には、静かな打鍵音だけがあった。部屋に一人きりのさと先輩に小さく挨拶をして、私もノートを開く。
「そういえば、みやこさんの原稿は手書きなんだね」
「はい、パソコンは持ってませんし、ケータイも長文は苦手なので」
 今のところ、私にとってはノートに手書きするのが最も効率的な手段だ。でも、部誌に寄稿するこの原稿はパソコンで清書しないと、デジタル提出ができない。
「文化祭が終わったら、タイピング練習をした方がいい。あなたがこれからも、人に見せる文章を書いていくつもりならね」
 だけど先輩、不器用な私がどれだけパソコンを練習しても、今の先輩みたいに手と口を別々に動かすことはできないと思います……。

世話焼き舞の現状分析

 みやこは榊君に片思いをしてる。でも、それを相手に伝えるつもりはないみたい。できないだろうなとあたしも思う。引っ込み思案の彼女が自分の気持ちを、ましてや好意を言葉にするなんて。
 今のところ京に彼との接点はない。まずは友達としてくっつけようか。でも時間がかかるし、やっぱりさっさと告白を促す方が……。
まい、朝からどうしたの?」
 隣で京が心配そうな顔をしていた。
「ううん、何でもない」
 小さく息をつく。きっと今朝見た変な夢のせいだ。人の恋路の橋渡しみたいなことばっか考えてる。
「私に話せることなら、いつでも聞くから」
「ありがと。でも本当に何でもないからね」
 ああ、この優しい人柄が伝わればきっとうまくいくだろうな。

夕影と夕陰

「わぁ、おっきい雲。真っ赤だよ!」
 まいが声を上げ、指差す先を私も見る。
 曲がり角の先に、大きな入道雲がそびえ立っていた。私たちの背中越しに夕日が照らして、圧倒的な存在感を放っている。
 一度それに気が付くと辺りの景色まで意識されて、視界はすっかり夕茜に染まった。そして、少し遅れて寂寥せきりょう感を連想する。
みやこ?」
 立ち止まったままの私を、舞が振り返る。
「なんか、ものさびしくなっただけ。そういうこと、ない?」
「京は物語の読み過ぎでそういう先入観があるのかも。あたしは京といて寂しくなんかないよ」
「わ、私も……」
 舞は西日の眩しさに堪え兼ねたのか途中で前を向いたけど、それまでの私の顔が、日陰になって見えてないといいな。

思わぬメリット

「すごいよ、選び放題だね」
 とっても広大なフロア、それが三階建てというのだから、きっととてつもない蔵書量に違いない。こんな本屋が通学路にあったなんて! 
「確かに店の大きさは街一番だけど、全部が小説ってわけじゃ―」
 まいの言葉を私はもう聞いていなかった。目の前の本の背ばかりたどって歩き、ようやく見つけた小説の棚を端から眺めていく。
 何冊目かの本を棚に戻す時、はっと我に返った。にやにやした舞が私の顔を覗き込んできたのだ。
みやこ、そんな風にはしゃぐんだ」
 私は途端に恥ずかしくなって、両手を熱い頬に当てる。どんな風にはしゃいでただろう。どれくらい夢中になっていたんだろう。
 今日はもう、本なんて選べないな……。

京の弱気な冒険心

 バスを降りて辺りを見渡す私に、まいが先に声をかけてきた。
「なーんだ、みやこ、結局かわいい服着てきてるんじゃん」
「そ、そう……かな? でも舞の方が……すごいよ」
 花火大会には浴衣で、と一度は言われたものの、私は浴衣も勇気も持ち合わせていなかった。でも、普通の格好で行くよ、と散々言っておきながら今日のワンピースは人生初のノースリーブだ。そんな私の冒険など知る由もない舞は、腕どころか肩も脚も見せる大胆な格好を平然とやってのけて、私よりはるかに先にいるのだった。
 心の準備、してきたつもりで全然足りなかったみたいだ。
「じゃあ行こっか。その内にも会えるかも」
「だめ、会わなくていいから! ぱっと見てぱっと帰ろう」

悲しい失敗と体験的学習

「おはよう、みやこ……あれ、体調悪い?」
 まいが私のマスクを一目見てすぐ心配してくれた。
「うん。でも、熱はあるけど高くないし、だるいけど咳とかはないから、一応登校できるかなって」
「今日は体育ないもんね。そのかわり大人しくしててよ」
 舞の優しい笑みに、私のマスクの下の口元もちょっと緩んだ。
「でも、昨日は元気そうだったのにね。帰り、本屋に寄ってったんだっけ」
「うん。それで夜、読んでたんだけどうっかり寝ちゃったら、体も冷えてきて、朝、目が覚めたら……」
 うぅ、思い出したらまた悲しくなってきた。
「本が布団の中でくちゃくちゃになってたの!」
「えっ、元気ない原因ってそっち!?」
「私、もうベッドで本は読まないっ」

初めてのおみくじ

「末吉かぁ、残念」
 先に引いたまいが唸った。
 私のは中吉だった。実はおみくじを引くのが初めてで、ちょっとどきどきしていたのだった。ところが、少しほっとして読み進めると思わぬことが書かれていた。
 黙る私の手元を舞が覗き込んできた。
「あっ『恋愛 よろし 自ら告げよ。やったじゃん―って何で戸惑ってるの」
「だって、こんなの見たら本当に行動しなきゃいけない気になる……」
みやこって、占い信じ易いどころか振り回されるタイプ?」
「運命って、自分のペースじゃ動かないよね」
「自分に都合のいいとこだけ受け取ったらいいんだよ」
―あっ『学問 興味が広がる』だって。好きこそ物の上手なれ、だね」
「難しいことから目をそらした!」

物語のエッセンス

 今日も文芸部室でノートを開く。まだ書き込みの少ないノートを前に手は動かず、ぼんやりしていた。
 すると、さと先輩からキャラメルをいただいた。理知的でクールな智先輩だけど、意外にも鞄に甘いお菓子を常に隠し持っていることを、私は知ってしまっている。
 そういえば私も、見られて恥ずかしいものはうっかり鞄をひっくり返しても飛び出さないように、チャック付きの内ポケットに詰め込んでいる。この創作ノートとか、お守りみたいに持ち歩いている部誌『まど』の既刊とか。
 ……『鞄の中身はエピソードになる? 
 そうだ、私の物語でもお姫さまにポシェットを持たせてみよう。隠すのは、お城の勝手口の合鍵でどうかな。
「何か閃いた?」
「はい!」

得意と不得意の差

 四限目の数学では抜き打ちの小テストが行われるだろうとまいは言う。授業の直前、舞がそばに来てささやく。
「公式覚えた? sinαさいたtanβタンポポtanαタンポポsinβさいた
「あれっ、tanタンポポなんて咲く?」
 慌ててノートをめくって答えを探す。その間ずっと舞がくすくす笑うので、何か違うことは間違いないんだと思う。
cosコスモスだ……。もう、いじわるしないでよ」
みやこは暗記得意でしょ? 寿限無じゅげむのフルネーム言えるくらいだもんね」
「一緒じゃないよ。はぁ、数学も物語になったら覚えられるのに」
 ため息を漏らす私の前で、涼しい顔の舞。
「それより、数学を暗記教科にすると後が大変だと思うな」
「小テストは暗記でいいよ。期末までに理解すればいいんだもん」

京の不得意科目

 四限の数学が終わった昼休み。弁当を持って近づいてきたまいが早速切り出した。
「どうだった?」
「だめだった。さっきの加法定理、出てこなかったし」
 小テスト直前に舞に意地悪されたおかげで強く印象づいたヤマは、見事に外れていた。
正接タンジェントのグラフって、波じゃなかったんだね」
「そうだよ。先生こんなことやってたの、覚えてない?」
 舞は人偏にんべんみたいなポーズをした。
「覚えてない……」
 そんな印象的な授業なら、記憶に残りそうなものだけどな。
「あの、小テストでいちいちヤマを張ってたんじゃ大変だよ……っていうのは綺麗事だけど、みやこはもう少し授業中の内職・・を減らしたほうがいいと思うな」
「あっ、部誌のやつ! あれはいつもじゃないから!」

京への誤解

 まいのからかいを受けながら、どうにか彼女の指の切り傷に絆創膏を貼り終えた。
「それにしてもすごいね。絆創膏すぐ出てきた」
「まあ、いつも鞄に入ってるからね」
「他には何が入ってるの?」
 尋ねられて、私は救急ポーチを広げて見せた。別に大したものは入っていない。さっき使った軟膏と、絆創膏が大小二種類。ガーゼに小さなハサミ、あとは頭痛薬。
「前は酔い止めの薬も入れてたんだけど、去年くらいからなくてもよくなって」
「あー、みやこって三半規管弱そうだもんね。歩道の縁石とか歩いてこなかったでしょ」
「いや、そこはそもそも歩くとこじゃないから」
「ほら、やっぱり京はマジメだね」
「マジメって、そういうことじゃないと思うけどな……」

京のタイムカプセル

 不思議な手紙が届いていた。宛名は私だけど、差出人も私。よくわからないまま封を切って取り出した便箋を開く瞬間、急に懐かしさがこみ上げてきた。

 五年後のみやこさんへ。私は今、このお気に入りの便せんで手紙を書いています。この便せんが好きな理由を覚えていますか。
 ヒントは左下の模様で、今の私が好きなものです。
 そうだ、この手紙、家族で出かけたイベントの企画だ。その場では書き終えられなくて、家で書いたものを翌日また行って出したんだ。諦めきれなかったくせに何を書けばいいか分からなかったからほとんど自己紹介になって、その分便箋に独自性を求めたんだった。
 五年前の私へ、書く間にとことん考える癖はこの頃から変わってないよ。

決意表明のダイアローグ

「最近、こんな手紙が届いたんだよね」
「何これ……あー、あったね、こんなの」
「私ね、書いて伝えることは、時間はかかるけど嫌いじゃないなって思ったの。この頃も今も」
「そう」
「それに、この前まいが言ってくれたでしょ。私は手紙なら上手く書けそうだって」
「うん、言った」
「それでね、私、考えたの。手紙に書いて告白する。榊君に」
「は? えー⁉ 何で急に告白する気に?」
「急かな。でもおみくじも良かったし」
「結局気にしてたんだ」
「私、ひいらぎ部長のことさと先輩って呼べるようになれたの、嬉しかった。だから、榊君とも仲良しになりたい」
「良いじゃん良いじゃん」
「それで、何とか終業式までに渡せたら……」
「来月⁉ 小説でも書くつもり⁉」

読書家への誤解(2)

みやこって国語得意でしょ。やっぱり本読むから?」
「うーん、半分当たり」
 私の曖昧な返事に、まいは何を察したか心配そうな顔をした。
「昔、よくからかわれたの。本読んでるのに・・国語が悪いって。児童書だけで漢字も諺も網羅してる訳じゃないのにね。でも悔しいから国語だけは点取らなきゃって」
「なるほど。苦労の結晶なんだ」
「お陰で何でも調べる癖は付いたけど。例えば」
 教科書を適当に開く。
「夏目漱石の名前の由来、漱石そうせき枕流ちんりゅうっていう四字熟語なんだって」
流石さすが、本好きは物知りだね!」
 舞もすぐからかおうとはするけど、今のは私がもう平気だって分かってくれたからだ。私も笑って返す。
「そう言われるから調べるの! 私一冊も読んでないのに」

文芸部の創部メンバー

 部室の窓際には、普段近付かない戸棚がある。そこには文芸部誌『まど』の既刊が収められていて、初号についてさと先輩と一度だけ話したことがあった。
 そういえば、智先輩はここの創部メンバーを知っているような口振りだった。不思議に思って、初号をもう一度開いてみる。部員に柊は見当たらないけど……。
「何見てるの、みやこさん」
 戻ってきた智先輩に、私は直接尋ねた。
「あぁ、その一人とはね。あまり詳しく話せないけど」
「それは、どういう……」
「覆面作家なんだ。ここの出身だって公表してないの」
 意外な答えに驚いたけど、謎は一つ増えてしまった。
「どうしてそれを先輩がご存知なんですか」
 智先輩は、口元に人差し指を当てて微笑んだ。

京の心の準備

 放課後、職員室から戻った教室ではまいの傍に森君がいた。
「あ、みやこ、もう帰るよね。一緒にCD買いに行こ」
「CD?」
「そう、archeアルケーのアルバムが出たんだ」
 archeはこの前私もCDを貸してもらった、二人が推してるインディーズバンドだ。
 いや、正確には三人―。
 隣に森君がいる手前、私は口パクで、もしかして、と伝えてみた。舞は私の意図を察して黙ったまま、小さく頷く。
「arche置いてる店なんて激レアなんだぜ」
 少しずれた話をする森君がちらりと時計を見て振り返る。同時に後ろの戸が開く―。
「おう、純。何で時間ぴったりなんだよ。もっと早く来いよ」
 待って、違う。これでも充分早いよ。まだ私の心の準備ができてないの!